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墨入りタクシーゆる~く営業中

とある地方都市のタクシードライバーの日々の雑感

夜のオシゴト

先日、ウチの会社の夜勤のドライバーが一人クビになった。深夜割り増しがかかる時間の前に割り増し料金でメーターをかけて走ってたのがお客さんにバレて会社にクレームの電話が入り、一発解雇、だったらしい。

タクシーのメーターは、年に二回、検査場で検査して、メーターの上がり具合が適正であるか確認するんだけど、割り増しの入り切り、タイマーの入り切りはボタンで操作出来るんだよね。

通常の料金で走ってる時は「賃走」、深夜割り増しがかかっている時は「割増」、タイマーが切れている時は「支払」の文字がメーターに表示されるから、どういう状態で走ってるかはお客さんにも分かるようになっていて、まあマトモな神経のドライバーならそんな子供じみた不正は絶対にやらないんだけどね。僕もその話を聞いた時は耳を疑った。でも、それと同時に、その夜勤氏はやっぱり夜の世界の住人だったんだなあという感想を持った。そして数年前まで自分もその世界の住人だった事を思い出した。


僕は数年間、零細個人事業主をやっていた時期があった。それだけじゃ食えなかったから、夜にアルバイトとして運転代行の仕事をしていた。 そう、夜のオシゴト。20台以上車を持っている、割に大きな会社だったんだけど、会社も滅茶苦茶なら従業員も滅茶苦茶な奴ばかりで、僕の仕事人人生の中で文句なしに一番ワイルドな 職場だった。言い方は悪いけど、本当に社会の底辺が集まる場所だった。一応法人登記もしている、体面上はちゃんとした?会社だったんだけどね、ブラック企業なんて言葉があるけど、その会社の職場環境は生半可なブラックじゃなかった。漆黒の艶消しの黒、光を全て吸い込むブラックホールの様な黒。

僕はこの職業に就いていた時に、2種免許とこの街の地理の知識を手に入れたから、そういう意味ではこの仕事をしていなかったら今の僕は無いし、従業員も底辺っちゃあ底辺なんだけど愉快なバカばっかりで、割に楽しい毎日を送っていたんだけど。仕事上での逸話的な物語は、今のタクシーの仕事の比じゃない位毎日何かしら事件があり、まあ刺激的な日々だった事は間違いがない。

職種柄、仕事は夜間オンリーだったし、お客さんは100%酒を飲んでいる人だったから、その手の面倒臭さはタクシーの仕事よりも格段に多かった。客層も全然ガラ悪かった様な記憶がある。ガラ悪いというか、横柄な態度の人が多かった。何故かは分からないけど。多少絡まれても調子良く適当ぶっこいて仕事してたけど、一番困ったのが無茶な値引き交渉してくるお客さんだった。その会社は値段交渉は絶対NGって会社だったから、交渉は何としても断らなければならないんだけど、中には本当にしつこく値引きを迫ってくるお客さんもいて、そんな時はこっちも夜の世界ならではの多少荒っぽい手段に出ざるを得なかった。

「お客さんさあ、オレ、夜の仕事やっててホント思うっすけど、絡んできたり怒鳴ったり、お客さん達やる方もよくやるよなあって感じですよね、いや、オレは絶対やらねえっすけど、こっちは車のナンバーも家の場所もすっかり分かってる訳じゃないっすか、無くすモン何もねえ奴なんて、この世界いくらでもいるんすよ、いや、オレは絶対やらねえっすけど、逆恨みされて子供さらわれたり家に火つけられたり、全然あり得るっすよねえ?いやあ、ホントよくやるよなあって感じですよね、いや、オレは絶対やらねえっすけどね」。

そんな台詞を、肩まで伸びたくせ毛の長髪のあんちゃんに巻き舌で吐かれたらビビらないお客さんはいなかった。滅多に出さないこの奥義を繰り出した時の料金の回収率は100%、大概はその上幾らかのチップをくれた。

一言で言えば軽い脅しなんだけど(自分では絶対にやらないと繰り返してるんで刑法上の脅迫にはならない)、僕は「忠告」だと思ってた。だって、それって事実だったから。従業員の中にはシャブ中なんて普通にいたし、生活も人格もボロボロに破綻してる奴なんてごろごろしてる世界だったから。僕が勤めてた3年少しの間に警察のご厄介になった仲間も3人いた。一人は留置場で2週間過ごした後に不起訴で釈放、一人は実刑食らって執行猶予で保護観察処分、一人は数ヶ月塀の中でお勤めしてきた。お陰で逮捕された後の処遇についてはやたら詳しくなった。留置場と拘置所の違いとか。全くもってマトモな生活には役に立たない知識だけど。

それが、ある種の夜の世界の姿なんだよね。タクシー業界はこんなに酷くはないけれど、というか全然マトモだけど、僕は件の夜勤氏にはこの夜の世界の匂いをはっきりと感じていた。運転代行の仕事をしていた時に毎日嗅いでいたあの匂いだ。だから、割に人懐っこい性格で、新人さんにも割と気軽に話しかける僕なんだけど、彼とは殆ど会話らしい会話をした記憶がない。夜の生活で得た処世術みたいなものがブレーキをかけてた、んだと思う。こいつはヤバイぞ、関わり合わない方がいい、って。そして図らずもその直感が当たってしまったんだな。

そんな夜の世界にどっぷりハマらずに、今、一応はマトモな暮らしが出来ているのは奇跡みたいなモンなのかも知れない。夜の闇の深さを垣間見る事が出来たのもいい経験だった。タクシー稼業だってそんな健全な仕事じゃないかも知れないけど、それでも当時よりは100倍マトモだ。少なくとも同僚にシャブ中はいないし、誰それが懲役に行ったなんて話も聞かないしね。代行時代は件の夜勤氏が起こしたような類の事件、珍しくもなんともなかったけど、今はやっぱり驚くもんなあ。

でも、プライベートで飲みに出た時、帰りのタクシーは自宅の前までは送ってもらわずに、必ず近くのコンビニで降りるのは、自分でも考え過ぎだとは思うけど、一度でも闇の世界を見ちゃった人間の悲しい性なのかも知れない。あの匂いは一生忘れられないんだろうなあ、と思う。