墨入りタクシーゆる~く営業中

とある地方都市のタクシードライバーの日々の雑感

野良犬家業

今更言うのもアレだけど、タクシードライバーという仕事って結構特殊な仕事なんじゃないかと思う。勤務時間も少し変わっているし、狭い車内でお客さんと一定の時間を過ごすという仕事の様態も他じゃなかなかない所だ。これは改めてゆっくり書きたいけど、稼いだ営業収入の約半分を自らの給料にするという歩合給も、単純って言えば単純だけどやはり少し変わってる。

でも、タクシーの仕事の何が特殊かって、仕事が完全な個人プレーだって事だ。タクシー会社に所属し、法人タクシーのドライバーとして働いていてもそれは変わらず、例えば朝、会社に出勤し、点呼を済ませ車に乗り込んで車庫を出庫してしまえば、一日の業務を終えて再び車庫に帰ってくるまで、会社の同僚の誰とも口をきかないで一日を過ごす事も不可能じゃない。でもそれじゃ寂しいから、何処ぞで同僚や顔見知りのドライバーと行き会えば雑談もするし、道ですれ違えば手を上げて挨拶もするけど、同僚の中にはそういうの一切やらない人も実際にいるからね。すれ違っても挨拶もせず、業務が終わって洗車場で車を洗っている時も誰とも一言も口をきかない人。おはようございます、お疲れ様ですの挨拶すらしない人。そういう人、少なからずいる。

これってかなり特殊なんじゃないかと思う。僕の想像する限りでは、朝晩の挨拶すらしないとか、そういう行動が許される仕事って、タクシードライバーか、コンピューターを使って自宅でSOHO的に仕事している人位なんじゃないかなあ?一匹狼、なんてカッコイイ仕事じゃないと思うけど、タクシーの仕事って、野良犬程度には浮世のしがらみには縛られない仕事なんですよ。まあ一言で言っちゃえば、気楽。対人関係のストレスが全く無いに等しい。

この気楽さ加減は一度味わっちゃうとやめられなくなってしまう。対人関係のストレスって、時にはその渦中にある人の精神を壊してしまう程過酷なのは多くの人の知る通りだ。この業界に入って4年弱、ぬるま湯にどっぷり浸かっちゃっている僕は、多分もう普通の?仕事に戻れない。

この歳まで生きてくれば、人間の嫌なところなんて見飽きるくらい見てきた。同時に人間のいい部分も沢山見たけど。色んな組織に属したり、色んな人と関わりを持ったり。そんな中で思うのは、人と人との関わりの中で感じるいい悪いって、必ずしも人間性とイコールじゃないんじゃないかという事。もちろん誰に言わせても鉄板でいい人というのはいるし、何処からどう見ても嫌な奴というのもいるけど、それでも、役割と言い換えてもいいかも知れないけど、人と人との関係性の中では人間性の良し悪しはいい方にも悪い方にも往々にしてブレるんじゃないかと僕は思う。まあ人間性がいいだとか悪いだとか、随分不遜な物言いだけど。

そんな僕は、友達と仕事はしない、というのを信条にしている。仕事になると、普段見なくていい余計な所も見えたりするから。先人の言葉によると、他人に期待しないというのは人付き合いをする上でのひとつの真理らしいんだけど、それでも人の嫌な部分を見るのは決して面白い経験ではないし、避けられる事ならば避けたい。ましてそれで友達を失うなんて本当に辛いし、ああ、この人と職場以外の場所で知り合いたかった、なんて思った事も一度や二度ではない。

朝晩の挨拶をしないのは流石にあんまりだとは思うけど、そういう意味ではタクシー屋稼業はやはり気楽だ。業務の後に洗車場で話す事だって本当に他愛のないバカ話だし。そもそも色んな半生を過ごしてきた人の集まりみたいな場所だから、プライベートに踏み込んだ会話は殆どしないんだよね。出来ない、というか。たまにいる、強きを助け弱きをくじくみたいな嫌な先輩もそれなりに適当にあしらっておけばそれで済んじゃうし。

そんな、寒い時期に入るこたつみたいな職場で今日も営業中です。ちょっと人生にお疲れ気味の40がらみのオッサンにはちょうどいい稼業なのかも知れません。