墨入りタクシーゆる~く営業中

とある地方都市のタクシードライバーの日々の雑感

8月

8月は、盆の時期。死者が帰ってくる季節だ。

 

先日、こういう句があるという話を聞いた。

 

 

八月や 六日九日 十五日

 

 

みっつの記念日。なるほど。そういう意味でもひとの命や生きざまに思いを馳せるべき季節なのだろう。

 

確かに独特の雰囲気を持つ月だと思う。祭りの華やかさや喧騒、夏休みの旅行や帰省等賑やかな出来事がある時期だが、それも盆を境に急速にやってくる秋の気配とともにがらりと雰囲気が変わる。

 

そしてこれからは日に日に秋が深くなってゆき、そうこうしているうちにまた長い冬がやってくる。

 

 

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田舎のタクシーのお客さんは、日中は半分以上がお年寄りだ。自宅から病院に通院する方、施設から買い物のためにスーパーへ行く方、暇つぶしにパチンコを打ちに行く方。自分でクルマを運転することが出来なくなった方たちの為の足替わりなんだな。

 

だから、お年寄りと話をする機会はすごく多い。まあ大概話好きの方が多いので、目的地まではなんやかんや話をしながらという事になる。

 

「お歳、お幾つなんですか?」

「ああ、私?93になるのよ、やだねえすっかりおばあちゃんになっちゃって」

「ええ!見えないっすね、お若いです」

「ほほほ、そんな事ないですよ」

 

そんな会話がきっかけになり、さもないやり取りをする。

基本は昔話をしてもらえば会話がとぎれる事はないから僕はいつもそうしているけど、中でも80歳を超えている方はまあ大概戦争中の記憶がある方なので、僕の興味半分、その頃の思い出を話してもらう事が多い。

 

何年もそんな経験をしていれば、統計的に傾向が掴めてくる。それによると、戦争経験があるお年寄りでも、女性はほぼ100%、戦争はいやな思い出だという話をする。まあほぼ100%だ。

食べ物がなくていつもお腹がすいていて、学校では先生に殴られて、人によっては疎開を経験されていたり、親やきょうだいを亡くされている方もいる。

 

そんなに長い事話は出来ないし、込み入った事情を聞くのもあれなのでその程度しか掘り下げられないけど。
そしてそんなおばあちゃん達は大概今の総理大臣の事が嫌いだ。たいてい戦争中の嫌な思い出とワンセットで悪口を聞かされる。きっと戦前、戦中の空気を思い出すのだろうね、それは僕にも何となく想像出来る。

 

 

これが男性になると話は違ってくる。特に従軍経験がある方はとにかくその頃の思い出話をしたがるのだ。
当時、海軍で爆撃機パイロットをしていたというお得意さんのおじいさんもそんな一人だ。

 

「墨入りさん、また当たったね」

「はあ、そうっすね、よろしくお願いします」

「墨入りさんさあ、高度8000mで酒飲むとどうなるか分かりますか?」

「いやあわかんないっすね~」

「気圧が違うから滅茶苦茶酔っ払うんだよ」

「へー。え、ていうかお客さん操縦士だって言ってませんでしたっけ?」

「ああそうだよ」

「え!んじゃ飲酒運転、っつーか飲酒操縦じゃないっすか、怒られなかったんですか?」

「だって飛行機の中じゃオレが一番偉いんだもん、誰も怒る奴なんて居なかったよ」

「ほえー」

「…酒でも飲まなきゃとてもやってられなかったですよ、怖くてね」

「…」

 

死んだ僕の祖父もそうだった。僕が小学生の頃、戦闘機や軍艦のプラモデルを作っているという話を聞きつけるや、遠方から「丸」という退役軍人向けの雑誌のバックナンバーを大量に送りつけてきたり。

 

例えば、終戦間際の学徒動員で召集され、2等兵で上官に殴られた記憶だけで従軍経験が終わっている方はやはり嫌な思い出として話するけど、ある程度従軍期間が長かった方にとってはやはり特殊な思い出なのだろう。

 

そりゃそうなんだろう、たかだか70年と少し前の話だ。当時の日本に、今の僕らと全く違う人種が暮らしていた訳では無いのだ。そこには今と同じような喜びや苦しみや悲しみ、悩みなんかがあった筈なのだ。

置かれていた状況によっては、喜びや悩みを噛みしめる余裕は今より全然少なかっただろう、それゆえ思い出も複雑なんだろうね。それは想像に難くない。

 

今ご存命の方々は、戦争は人生で一番多感な時期が戦時中だった訳だしね、それがその方の人生にどういう意味をもたらしたのか、自分の人生と比べながら、せめてこの時期だけでもその事に思いを馳せるのは悪い事じゃないと思う。

 

 

 

 

 

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お年寄りからそんな話を聞く機会も、時と共に減ってきている気もする。件の飲酒パイロットの方もどうしていらっしゃるのか、最近は注文も寄越さなくなった。

 

8月15日がどういう日なのか、知らない若いコも増えてきていると聞く。良くも悪くも時間は進むし時代も変わる。そんな今年の8月に考えた事をタクシードライバー目線で書いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

今生の別れ

ある朝、社内の掲示板(毎朝覗く決まりになっている)に目をやると、一枚の掲示物が目に入った。
 
「◯月◯日 △野△助 退社」
 
と書いてある。
へー、△野さん、辞めたんだ。
心に浮かぶ想いは、取りあえずそれだけ。点呼と車輌の点検を済ませ、さっさと営業所を後にする。
 
業務が終わり、洗車場に車を突っ込むと、先輩が先に営業車両を洗っていた。
「△野さん、辞めたらしいっすね」
「ああ、そうらしいな」と先輩が気のない返事を返してよこす。
「何かあったんすかね?」
「俺も良くわかんねえけどな、あの人もいい歳だったろ?会社と揉める様な人でもなかったし、潮時だと思ったんじゃねえの?」とあくまで素っ気ない。
 
僕もそれ以上この話題を引っ張る気になれず、自分の車を洗い始めた。
 
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この稼業も長くなると、こういう経験なんて両手両足の指の数じゃ足りないくらいしてきた。
というか、これ他の会社はどうなのかなあ、多分ウチだけじゃないと思うんだけど、乗務員が職を辞す時は何の前触れも無くある日突然居なくなる事が圧倒的に多い。
まあ、近しかった仲間にはこっそりと話す人もいるだろう、でもそれも辞める前に「◯島、仕事辞めるってよ」などと噂になる事はほとんどない。精々、気の利く人が、辞めた後に今までお世話になりました的に缶コーヒーを箱で置いていく程度だ。
 
だから、転勤というものも無い仕事だし、僕は今の会社で送別会というものを一度もやった事がない。一応僕らの社会的身分は、会社に所属している会社員なのだけれど、こういう所もちょっと不思議な世界だなあと思う。
 
身の上話なんかもほとんどする事がないしね、というか出来ない。それなりの過去を背負った人も少なくないから。そういう事も相まって、人と人との繋がりがとても希薄な世界なのだ。
 
 
僕もこの業界に入ってそれなりの時間が経つけど、そういう空気に慣れてしまうとそれはそれで居心地がいいと感じる時もあるのが事実だ。
ある意味、これが人の本心のひとつの形なのではないかと思う事もある。仕事の同僚との距離感は世間の常識とはかけ離れたものではあるけど、逆に「普通の」距離で仕事をしたり暮らしを営んでいる人たちの方が特異に思えてきたり。
 
まあ、ある程度の苦労はしつつも、共同体的なものを作りそれを維持していくのは、維持にかかる労力やコストを差し引いてもメリットがあるから、人間は古来からそうしてきたんだとは思う。
そして、この業界はそうした作業があまり得意じゃない人が多く集まる傾向にある事も事実だとも思う。
 
だから、ただでさえ希薄なこの世界の人間関係の色彩ははさらに薄くなっていく。
 
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僕が仕事をしている地区には1000台を優に越す台数のタクシーが登録されているのだという。こうやって改めて書いてみても結構な数だ。
それでもタクシードライバーとは不思議なもので、そこここで顔を合わせるドライバーにはしょっちゅう会う。会社も違えばシフトの形態も違う。それなのに、決まりがある訳でもないのに誰に強制されている訳でもないのに、行動パターンが似ているのだろう、まるでルーティンでもあるかの様に街のあちこちで行き逢うのだ。
会えば流石に挨拶もすれば、車も降りて雑談に興じる時もある。会話と言っても大概は「今日は調子どう?」「ああ、調子?相変わらず悪りいよ」といった具合のさして意味もない会話なのだが。
名前も知らなければ、連絡を取り合う様な関係でもないから携帯電話の番号などももちろん知らない。それでも、しょっちゅう話していれば共通の話題も出来るし、情みたいなものも生まれる。ごく稀に、それが身の上を話す関係になったりもする。些細な事で助けられたりもする。
 
 
 
そんな仲間も、ある日突然居なくなるのだ。
 
 
 
2週間くらい姿が見えなくて、でも連絡先も知らないし消息を確認するすべもなくて。
流石に変だな、と思い、件の仲間と同じ会社のドライバーに聞けば「ん?◯村か?あいつ辞めたよ、親の介護しなきゃならないって実家に帰った」とさらっと言われる。
僕はと言えば、あーそうなんすね、と返すしかなくて、流石にそれで寂しがるような関係でもなかったけど一丁前に喪失感みたいなものは覚えて。
介護しなきゃならないような親御さんがいたのも知らなかったけど、つーかオレ、奴の名前すら知らなかったんだよなあという事に改めて気付いたり。
 
 
道すがらのコンビニの灰皿の傍で休憩を取る。キツいタバコの煙を思い切り肺に吸い込んで、胸のもやもやと一緒に青空に向かって吐き出せば、真夏の太陽が「煙てえよ、バカ」とばかりに強くてまっすぐな日差しを返してくる。その光は僕には少し眩しすぎて、目眩がした僕は営業車の中に避難した。
 
しゃーない、稼ぐか。
 
気持ちを入れ替え、市街地に営業車の鼻先を向け走り出そうとした時、何処からともなく「これがこの世界のマナーなんじゃよ」という声がした。タクシーの神様の声だ。
僕は聞こえない振りをしてアクセルを踏み込んだ。
 
 
 
 
 

総じて言えば、僕はこの仕事が好きだ

先日、お二人の方からこのブログにコメントを頂いた。 はてなからその旨のメールが来て、このブログの存在を思い出した位離れていたんだけど、コメントしてくれた方は、面白いブログだから良かったらまた更新して欲しいと言ってくれて。

褒めてもらえるとやはり嬉しいもので、こうして久しぶりにエディタに文字を打ち込んでいる訳です。

驚いた事に、久しぶりにiPadに入れてあったはてなのアプリを起動してみると、放置していた期間もほぼ毎日アクセスがあって。50PV位ある日も珍しくなくて。誰かが何かを求めてアクセスしてくれて、そのうちの何人かが僕が書いた文章を気に入ってくれたのか過去記事も遡って読んでくれたという事なのだろう。

2年以上ブログを放置していた間も、僕はタクシードライバーを生業として生活していた。そしてこれからも、身体が動かなくなるまでこの仕事を続けようと思っている。今の目標では70歳までかな、定年の無い仕事だから、何事もなければその歳まで働けるだろうと思っている。

どんな業界だって、どんな職場だってそうなのだろうとは思うけど、大なり小なり問題を抱えている。タクシー業界だって御多分に漏れない。というか、問題だらけの業界だ。 僕がこのブログを書き始めた時、そんな問題、業界の中にいる人にしか分からない問題を業界の外部の人に伝えたいと思ったのが書こうと思った動機のひとつだった。今回久しぶりに書き始めるにあたって自分が過去に書いた記事を読み直してみたんだけど、まだまだ伝え切れていない事もたくさんある。 僕が昔、自分に課した使命はまだ果たされていないという事だ。

何故、2年以上も記事を書かなかったのか考えてみる。理由は大きくふたつある。 ひとつは、私事なのだけど、趣味に関する別のブログを書き始めたという事が大きい。文章を書くのは大好きなんだけど、なかなかこちらの方まで手が回らなかったという事だ。 もうひとつは、この仕事に「慣れて」しまった事が大きいのだと思う。初めてこの業界に飛び込んだ時に感じた猛烈な違和感や、少し勝手が分かり始めた頃に見えてきた問題点。後は、仕事そのものもそつなくこなせる様になって、ブログに吐露したいと思うほど心が動く様な出来事にも出会わなかったのだろう。

継続は力なり、と言うけれど、まあそういう力が僕には無かったんだな。つまりは。

ただ、テレビやネットのニュースでタクシーが話題になる時、この事件ここが一番大きな着眼点だぜ、みんな気付いてるかなあ?と思ったり、または社会学者や経済学者がこの業界について語る時、ドライバー目線から見ればあんたらの言説まるっきりピントズレてっから、と思ったりした事は正直何度もあった。 そんな時、僕もこのブログというメディア持っているじゃないか、という事が頭を掠めなくもなかったんだけど、それがキーボードに向かう熱意にはならなかった。

だから、こうやって再び実際に書き始めるきっかけを僕にくれた、コメントを書いてくれたお二人の方には大変感謝しています。改めましてお礼を言いたいと思います。ありがとうございました。

何故また書こうと思ったのか、についても考えてみる。 正直、直接僕の書く文章を褒めてもらった、というのが大きい。やはり幾つになっても何かで評価されるという事は嬉しい事だ。 それと、前述したけど、自分が過去にこのブログを書こうと思った動機が未だ志半ばだという事に気付いた事もある。何度かに分けて書く、と宣言した事を書いてなかったりね。

今は、はっきりとした意思を持って、志を全うしたいと思っている。

何故か、と言えば、タイトルにも書いた通り、総じて言えば、僕はこの仕事が好きなのだ。

そんな大仰な仕事ではないと思う、正味の話ね。誰にでも出来る仕事じゃないし、むしろ新たに始めるにあたってはなかなかハードルの高い仕事だとも思っている。免許の事とか、地理の知識が要る事とか、最低限の接客スキルがないといけない事とか。言うほど簡単な仕事じゃないし、僕はその事にプライドも持っている。 けど、一旦もろもろのスキルを身に付けてしまえば、後はほぼルーティンワークだからなぁ。

でもね、面白さは間違いなくある。昼間お乗せする病院通いのお年寄りとの会話や、夜中に運ぶ酔っ払いとのやり取り。いつもの道路を自分の家の廊下さながらスイスイと右に左にハンドルを切る運転の楽しさ、禍々しくも妖しい夜の街で時たまブチ当たるワイルドな出来事。 どれを取っても、掛け値無しに面白い。

だから。 僕が伝えられる事は伝えていきたい、と思っている。いい事も悪い事もね。その上で、この職業に対する理解みたいなものが、ほんの少しだけでも広がればいいな、と思う。

多分今後もそんなに頻繁には更新しないとは思います。量より質で、一本一本それなりに読める記事を書きたいから。でも、可能な限り続けていこうとも思っています。今後ともよろしくお願いします。

墨入りタクシー、今日もゆる〜く営業中です。