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とある地方都市のタクシードライバーの日々の雑感

JPN TAXI CONCEPTと、僕が夢見るタクシーの未来

今現在、タクシー専用車両として売られている車はトヨタのコンフォートしかない。まあ一般ユーザー向けにも販売されているんだけど、工場出荷時にLPG燃料で走ることを前提に売られているのはコンフォートだけだ。数年前に日産のクルーが生産中止になってからはずっとこの状況が続いている。Y31セドリックも一応新車で買えるんだったかな?でも今Y31なんて買うのはごく少数だと思うので。

このコンフォートという車、グレードによってはクラウンの冠がついているけど、ベースになったのは、X80系のマークII。コンフォートは'95年からの生産だけど、X80系マークIIのラインオフ は'88年なので、基本設計はもはや20年以上前の車なんです。

実際この車を運転した事がある人は業界の方以外は少ないと思うけど、まあ走らない曲がらない止まらない。初めて運転した時に「なんじゃこりゃ?」とびっくりしたのを今でもはっきり覚えている。'08年にマイナーチェンジでエンジンが1TR型になってからエンジンパワーだけはマトモになったけど、重心の高い車体は従来のままで且つエンジンの重量が重くなりバランスが崩れて、個人的にはかえって運転しにくくなった様に思う。流石にもうそろそろ限界なんじゃないの?と思ってた。何処かのメーカーで早く新型のタクシー専用車両出さないのかなって。

そんな僕の想いが通じた訳では当然ないだろうけど、去年のモーターショーにトヨタから遂に登場しました、JPN TAXI CONCEPT。新型のタクシー専用車両のコンセプトモデルです。少し前にNYのイエローキャブに採用された、日産のNV200程ではないけれど、背の高いハッチバック式のボディに機関はLPGとモーターのハイブリッド。お客さんが乗り降りする左リアのドアはスライド式、開口部も広く、サイドシルも低い。正にタクシー用に使う事に特化した造りで、初めて見た時は心の中でおお〜と歓声を上げたものだった。待ってたんだよねこういう車両。

高い屋根もLPGハイブリッドの機関もいいけど、一番使いやすそうだなって思ったのは左リアのドア。ご存知の通り、日本のタクシーのドアは乗務員が開閉するけど、実はあれってお客さんへのサービスの為の自動ドアじゃないんですよ、事故を防ぐ為にお客さんは勝手に開閉しないでくれ、開閉は乗務員に任せてくれ、って意味合いで付いているモノなんです。日本の道交法では、停車している車のドアが後続の車や自転車、バイクに接触した場合、10:0の割合で事故はドアを開けた車の責任になる。タクシーの場合ドライバーがその責を負う。そういう事態を防ぐ為のモノなんですな。これタクシー豆知識。ちなみにこういう形でタクシーに自動ドアが付いているのは日本だけ、らしい。

事故の事もだけど、左右開きのドアって狭い場所なんかでは使い勝手悪いしね、これはなかなかいいアイディアだな、と思いました。

まあそういう車体の造りの事もだけど、僕が一番気に入ったのは、車両のコンセプトそのもの。実用に徹したハッチバック式のボディ。全然フォーマルでは無いけれどそこが凄くいい。僕は常々思っていたんです、セダン型のボディでショーファードリブン気取り、もうやめようよ、って。そういう僕のタクシー哲学?にばっちりハマる車体だ。

昔はタクシーってのはそういうものだったかも知れない。安くないお金払って、ショーファー(お抱え運転手)を雇う。大昔はね、そういう乗り物だったんだろう。でも、今はそうじゃないじゃない?大方のお客さんにとっては単なる移動手段。もう何十年も前からね。それなのに、大昔の様式だけがガラパゴス化しちゃって今に至ってる。今でもいるけど、白い手袋はめてるタクシー運転手なんかはその名残なんだと思う。僕は絶対にはめないけどね。

これは、きっとなかなか賛同が得られない考えだろう、現役の運転手の先輩方からもそれは違う、とか言われるかも知れない。きっと言われるだろう。でも、これは僕の中では確信ですね。もうそういうの古い。もっと合理的に考えよう。というのが僕の考えです。

もっとキツい言い方をすれば、役者じゃないんですよ、ドライバーもお客さんも。運転手だってお抱え運転手を演じる程の技量もなければ、お客さんだってお抱え運転手を雇うような身分じゃないでしょ?ものすごく失礼な言い方だけど。いや、都会はどうだか分からないけど、僕が営業している田舎町は確実にそう。そりゃ中にはフォーマルなお客さんもいるけど、20人に一人もいないんじゃないかなあ?いや、そんなモンじゃない、ショーファーのクオリティをドライバーに求めてくるお客さんなんて月に一人居ればいい方だ。

本物のショーファー、お抱え運転手って、かなり特殊な職業だと思うんですよ、本来。それなりの訓練を受けた人がそれなりの賃金を貰ってやる仕事なんだと思う。運転の技量もそうだし、車内という密室の中では言葉遣いや身だしなみにも要求されるハードルは本来かなり高いものの筈だ。だから、さらに言葉汚く言い換えれば、ドライバーの立場から言えばこんな待遇でそんなクオリティの仕事やってらんない、というのが本音です。でも現状ではすべてのタクシーが暗にそういうガラパゴス化しているなんちゃってショーファー的な様式にハマる事を要求されてる。

話が盛大にズレました。しかもどんどん大袈裟且つ極端になりました。でも、この辺の先入観が、前回のエントリで書いたようなタクシーあるあるネタの根深い原因のように思えてならないんですよね。自分でも極論だと思いながら書いてるけど、正しい自動車文化の歴史なんかを紐解きつつ考えれば決して暴論ではないと思う。

ガラパゴスの殻を破るのは本当に大変な事だと思う。まして今回のエントリに書いたような事は全くのジャパンローカルの問題だ。本来はタクシー会社が主導して変わっていくのが本当なんだろうけど、僕が知る限り業界は僕が考えるタクシーの在り方とは反対の方向に向かっている気すらする。白手袋もそうだし、迎車の時に、例え吹雪の中でも直立不動でお客さんが出て来るのを車外で待ってたり、手を挙げて停めてくれたお客さんを乗せるのにドライバーが運転席から飛び出て行って外からドア開けたり…もう考えが合わない人には充分に嫌われただろうからダメ押しするけど、僕にはアホにしか見えないのね、そういうの。もうやめようよ、って思う、心底。

で、僕はこのJPN TAXI CONCEPTの、ほんのりカジュアルな佇まいに、頑丈なガラパゴスの殻を破る糸口みたいなものを見出せる。これを機に住み分けちゃえばいいんだ、なんて夢想したりする。タクシーを単なる移動手段にする人はこっちに、ショーファーのクオリティを求める人はクラウン等大型に、って。もしそうなれば、首都圏のタクシー会社ではドライバーの間で黒塗り大型車の取り合いになるのかな?でもそれならそれでもいいよね、大型に乗りたい人は努力してそれなりの技量を身に付ければいいんだから。晴れて大型に乗れればそれはその人のプライドになるんだろうし、そういうのダルいからオレは小型でいいッス、って人も絶対にいるだろうから。僕は間違いなく後者。自分、そういうのダルいんで。

大丈夫、今の世の中の流れや日本人の気質からいって、小型は昔みたいな雲助ドライバーだらけ、なんて事にはならないから。我ながら結構いい考えだと思うんだけどなあ。どうなんでしょ??

 

 

追記:この辺読んでもらえると、クルマにあまり興味のない人でも今回のエントリの趣旨分かりやすいかもです。

 

 

追々記:このページもすごく面白かった。やっぱり日本のタクシーの在り方はガラパゴス。もうやめましょうよ。

 

タクシーあるある

今までは全然読んだ事がなかったんだけど、自分でタクシードライバーについての文章を書き始めてから、同業者の方のブログをたまに眺める様になった。結構あるんですよ、数もあるし、内容も様々。その日の仕事の出来具合を備忘録の様に記したものとか、社会派、というか、業界の問題やあり方などを中心に書いているものとか、はてなで書かれている大江戸タクシーさんなんかはスポーツ選手が自己研鑽するように仕事にも文章にも真面目に取り組んでいらっしゃる。 その地区による仕事の進め方の違いとか、稼げる金額の違い、または、あーそれ、あるわーって同業者なら誰でも納得してしまうだろうタクシーあるあるネタとか、読んでいてなるほどなーって思うことが多く、結構楽しみながら読んでいる。

その中で、どのブログかは失念してしまったんだけど、あるブログ主さんが「お客に『運転手さん、商売調子どう?』って聞かれた時に『ぼちぼち調子いいですよ』って答えるとお客は大概機嫌を悪くしやがる」って書かれていて。読んでいて爆笑してしまった。

これ、タクシーあるある。

このブログ主さんは、どうせオレらタクシー運転手なんて見下されてんだよ、なんて少しひねた調子で書かれていて。僕はそこまでは悪くは取らないけど、これはあるわー。思い出しても可笑しくなってくる。

僕の車両に関して言えば、きっと単純に面白くないんだと思う。この『調子、どう?』って質問自体、結構な頻度で聞かれる事なんだけど、髪の長い、チャラい感じの、年齢不詳の半分自由人風情の運転手ごときが、車内で訳わかんない音楽流しながらバリバリ景気良く稼いでいたら、そりゃ様々なしがらみに縛られた、真面目に仕事していらっしゃる勤め人の方々は面白くないに決まってる。だから僕は、結構な頻度で聞かれるこの問いには、いやーダメっすよ、全然、って答える様にしている。まあ実際地方都市のタクシー運転手の給料は良くないしね(そんなに悪くもないが)。ネクタイなんて締めてるけど、仕事の内容は純然たる肉体労働だし。ウチの会社は社風が自由だし、人間関係のしがらみが全く無い仕事だからその辺は自由にやらせてもらってて、きっとそれが僕の風体にも表れているんだろうけど。

でもきっと、あるんだろうね。このブログ主さんが書いている様な風潮。僕は予め予防線張っているから嫌な思いをする事も少ないんだけど、一度世話好きそうなおばさんのお客さんが、あらぁ〜運転手さん、そんなにお若くてタクシー運転手なんてなさってて…お仕事辛くない?大変でしょう?ご家族はいらっしゃるの?ってな具合に猛烈な勢いで要らぬ気遣いをされて辟易してしまった事があった。まあそういう事なんだろうね、残念ながら。その時は、申し訳ないけど、ちょっと余計なお世話かも、って思った。おばさんには悪いけど、僕はこの仕事、結構気に入っているんだよね。

タクシー運転手達も皆この空気を感じている気配もある。プライベートで飲みに出掛けた時はやはり僕もタクシーを使って帰宅するんだけど、そんな時は一般人を装って、運転手さん、景気どうっすか?なんて聞いたりする。すると殆どの運転手さん達は「ぼちぼちですよ〜」って答える。それが暇な時期だったとしてもだ。その時期の夜が食えない事くらい、同じドライバーの僕自身よく分かっているから、そういう答えを聞いた時は少し複雑な気持ちになる。

聞いてもいないのに去年の年収の話を始める運転手さんもいた。現役のドライバーの僕にはこの会社の夜勤だとこの位だろうな…というのも当然想像付く訳で、その時は若干水増しされて伝えられた年収の額面の数字を受け流しつつ、後部座席で腕組みをしたものだった。

なんなんだろう?そんなにタクシー運転手というのは日陰な職業なんだろうか?同じタクシードライバーとして上に書いた様な見栄?を同業者に張られると少し悲しい気持ちになる。まあ確かに夢を持ってこの業界に入って来る若者は現状では少ないかも知れない(いないとは言わない)。仕事はハードだし(その分頭も気も使わないけど)、給料も決して良くはない。仕事の内容的にもそんな大仰な仕事では決してないとも思う。正直今までしてきた仕事の中で一番気楽だしね。肉体的には一番ハードだけど。

かと言って人に蔑まれる仕事じゃないと思うんだけどなあ。凄く単純に、簡単に考えてそういう答えしか僕の頭からは出てこない。世の中には絶対必要な仕事だしね。昔は柄悪い運転手さんも多かったらしいけど、最近のドライバー達はみんな真面目に稼いでんじゃん?多少飲み過ぎてろれつが回らなくなっても、営業接待で美味しくないお酒飲んだ帰り道にちょっと八つ当たりしても、なだめてあやして、ちゃんと家まで送り届けてるでしょう?大雨だろうが大雪だろうが、物理的に通る事が可能な道路ならどんな状況だって目的地まで運んでるでしょう?

ドライバーももっと身の丈を意識しつつ胸張ればいいのに、とも思う。どやっとした態度で偉そうに出来る大層な仕事ではないけれど、そんなに卑屈になる必要はないでしょうに。その辺、ドライバーとお客さん両方に意識の改革は必要な気はしますね。みんながもっと幸せになる為に。

タクシー適正化法案も無事施行され、そんなに過度の期待はしていないけど我々タクシー運転手の待遇も多少マシになりそうな気配もある最近だ。でも、そりゃお金も大事だけど、タクシー運転手に今一番必要なのは「プライド」なのかも知れない。最近そんな事を考えながら仕事してます。ゆる〜く。

新年もゆる~くやります

さて、2013年も無事故で無事に越す事が出来まして、新年が始まりました。年一番の繁忙期の12月は期待通り忙しく、普段はゆるく仕事している墨入りタクシーも頑張って仕事しました。目標だった売り上げ5位以内(100人中)はギリで達成出来なかったものの、金額的には目標額をクリアする事が出来、秋に買い換えた自家用車のカイゾー費も無事に捻出する事が出来そうです。春には単車の車検もあるし、年始も頑張って稼がないとなあ。

年末年始のシフトは、月に2回ある連勤と重なり、仕事納めが31日、仕事始めが元旦という地獄のシフトで、1日の朝早くから仕事のバディのプリウスの運転席に乗ってました。年末年始の僕のシフト表を見た、本っ当におかしい時しか笑わない嫁に「あんた大晦日と元旦仕事じゃん」と楽しそうにぐへへと笑われました。元旦はやはり仕事を休む人も多くてタクシーの数が少なく(ウチの会社も2/3のクルマが休んでた)、一日中忙しいから休みたくないのよね。紅白観ながらワイン飲みすぎて若干だるかったけど、新年の初めに相応しく頑張って仕事しましたよ。

前回のエントリで、クリスマスの喧騒が苦手だって書いたけど、僕は年越しの時期は嫌いじゃない。というかむしろ好き。これも昔から。一年に一度くらい、その一年を振り返り、来るべき一年に想いを馳せる日があってもいい。何がめでたいのかわかんないけど、会う人会う人とおめでとうございますって言葉を掛け合うのもいいし、今年一年よろしくお願いしますって言い合えるのもいい。たまにこういう区切りがないと、日々の生活ってただ淡々と過ぎて行くからね。

若い頃は友達と一晩中遊んでた。夜の10時頃に三々五々集まって、日付が変わる時に消される街中の街路樹に飾られたイルミネーションの消灯式をダベりながら待つ。カウントダウンと共にイルミネーションの灯りが消されると、集まったたくさんのクルマが一斉にぱーってクラクション鳴らしてね。みんなテンション上がってるからアンコールしたりしてさ。

その後は海岸に行って焚き火しながら初日の出を待つ。まあ綺麗な初日の出なんか見れた試しがないんだけど、寒い中一晩中遊んでたなあ。

結婚してからは、すぐに長男が産まれた事もあって、友達と遊び歩く事もなくなったんだけど、大晦日の夜から実家で紅白観ながら大酒飲んで。二日酔いで起きた元旦の朝に食った、お袋が作ってくれた薄味の雑煮が旨くてね。まだ小さかった子供達抱いて初詣行ったりして。それはそれでのんびりしてていい正月だった。

年の瀬の忙しなさと違うこの居心地の良さは、きっと新しい何かが始まるという期待感が大きいのかな、と思う。僕個人的な思いだけど。今年はどんな年になるんだろう。年が明けたからと言って自分の周りの世界が劇的に変わるなんてあり得ない事くらい、43年も生きていれば分かっているし、むしろいつもと変わらない淡々とした日常が続いて行くんだろうなあというのも想像出来てしまうんだけど、幾つになってもやっぱり人生には期待していたいから。今年は去年よりもいい年にしたいなあって思う2014年の年明けです。

話にオチがないのでYouTube動画に〆てもらいます。アメリカ・ボストン出身のピクシーズってバンドが1989年にリリースしたセカンドアルバム「Doolittle」の一曲目。このアルバム、今日久々に聴いたらすげー良かった。パワーコード全開のざくっとしたギター、手数の多いドラム、キュートなコーラス。25年経った今聴いても素晴らしい。このバンドがいなかったら、90年代のオルタナティヴ/グランジムーブメントは全然違ったものになっていたかも知れないな。新年の幕開けにふさわしい爽快な一曲です。PVもかっけー。



Pixies - Debaser